海で遊ぼう ホンダ ノーティダックス50
2016/03/08
私の生まれ育ったところは、25分も走れば海に出ることができました。
九十九里浜という限りない砂浜が続いています。
とすれば、タイヤ径の太いもので砂浜も走りたいという欲が出てくるもの。
当時ダックスやバンバンというタイヤ径の太いバイクがありましたが、私はなんとかノーティダクスというバイクを手に入れることができました。
高校生2年頃の話しです。
当初は砂浜特有の砂漠山のようなところを走ってみたり、浜辺を走っては朽ち果てた木造漁船の脇で休んだりで、極太タイヤ特有の走りで楽しんでいました。
が、気がつけば友人のバイクがスーパーカブやCB、MR等だったので車輪が細いがために浜辺で一緒に走ることができず、結局街乗り中心になっていきました。
幸い、アメリカンバイクのようなライディングポジションとクッション性の良い極太タイヤ、ソフトなサスペンション、ソフトで腰部が湾曲したシートは長距離を走ってもいつまでもロングツーリングしたいという気に駆られるようなバイクだったので、千葉の田舎を走るには持って来いのバイクでした。
低速・高速共に粘りのあるホンダらしいエンジンのおかげというのも大きいポイントだったと思います。
事実、千葉の地元から茨城県の袋田の滝までこのノーティダックスでツーリングに行ったこともあります。
往復250kmの道のりでした。
当時友人がヤマハMRというオフローダーに乗っていましたが、そのバイクと共に50cc 2台で走っていきました。
滝やそれまでの風景もいろいろ楽しむことができ、途中で食べた五平餅も美味しく、特に行きはワクワク感が先に立ち、どんどん北へと進んでいきました。
ただ、何事にも良いことだけとは限らないものです。
その分だけ帰る道のりは地獄でした。
なかなか地元にたどり着くことができず、大型トラックに追い越されるたびに出る冷や汗。
直ぐ脇に大型トラックのド迫力の車輪が並ぶと、今にも引き込まれそうで、、。
帰途を急ぐために主幹道路を走ると言う作戦が、その恐怖の連発を生んでしまったのです。
今を思えば私も友人も自動二輪の道へと走ったのは、それがきっかけだったのかもしれません。